家族・義実家

立派な家と幸せは比例しないどころか不幸まである

立派な家と幸せは比例しないどころか不幸まである

前回の記事で

「色んな家に住んだがこんな気持ちになるのは初めて」

と書きました →★今のお家が過去になったら嗚咽号泣するんじゃないかって

という事で今回は

じゃあ今まで住んだ家はどんなだったんか?

と言うのを振り返って見たいと思います

家を語るには当時の家庭状況も語らねばなりません

私の過去は明るいことばかりではなかったのでもしかしたらウッ!!!となる方もいらっしゃるかもしれません

そんな時は直ぐにスワイプでこのページを閉じて太陽の光を浴びてくださいね

それでは参りましょう!

※超長文注意  ※11軒目+αまでありますw

1軒目:垂水の2K?木造アパート、約4年

私が1番古い記憶で覚えているのがこのお家。このお家で覚えている出来事が3つ。

一つ目はサンタさんがチャイムを鳴らしてやってきて犬のオモチャをくれたこと

二つ目は母・兄・私・妹の3人で輪になってみんなで泣いていたこと。父が出て行った後で、「これからみんなで頑張ろうね」と言っていたような気がする

三つ目は阪神淡路大震災で倒れてきたものがおでこに当たって目が覚めたこと

このアパートは全壊とまではいかなかったと思うけれど、これを機に引っ越すことになる

因みに被害が大きかった住吉のお婆ちゃん家は全壊、避難していた小学校のTV中継でちょうどお婆ちゃん家の斜向かいの家が火事でごうごうと燃えている衝撃映像を見る(お婆ちゃんは大丈夫でした◎)

2軒目:預けられた人んちの立派な一軒家、期間不明

母が新しい家を探す間、私たち兄弟3人は知らない人の家に預けられる

この家のおばさんが厳しい人でとても怖かった

この家にも男の子が確か2人いて、一緒に遊んだり、この近辺の幼稚園にも少し通った

この期間がどれくらいだったのかは思い出せない

3軒目:大阪の2Kマンション、約5年

母が新しい家と新しい男を見つけてくる

大阪の千里丘、当時は(今も?)ベッドタウンで転勤して移り住んでくる人が多かったらしい

当時のこの地域にはうち以外にも家庭や金銭的に事情のある家が多く、それが当たり前だったので辛い思いをすることがなかった

が、この男が曲者で子供の私たちにビールを買いに行かせたりマッサージをさせたり、食事中に自分は見るのに子供にはTVを見させないようにするなどのクズな男だった

数年後に「結婚指輪を買ってくれなかった」と母が家から追い出すが、この男も父になる気など1ミリもなかったと思う

4軒目:(神戸)住吉の2Kボロアパート、1年

お婆ちゃんの体調が悪くなったからとお婆ちゃんの地元住吉に移り住むことになるが、新しい家があまりのボロアパートで一目見て辛い気持ちになるw

神戸は地域的にも学校的にも風潮が特に変わっていて、住む地域によって格差が明白だった

私が住んでいた地域は普通の地域だったのに住んでるのがボロアパートだったので余計に辛かった

この時期に母が新しい男を見つけその男が父になることと千葉への引越しが決まる

お婆ちゃんが「遠くに行っちゃうのが寂しい」と泣いた

5軒目:千葉3DKアパート、約3年

父も加えた新しい生活に3DKで5人家族は多少窮屈だったが、生活は一変する

車も買い、外食も増えた

ここから表向きな生活は潤っていくが家族としては徐々に壊れ始める

まず中学に入った兄がグレ始めた

6軒目:千葉4SLDK借家、約1年

私たち子供が大きくなるにつれて完全に家が手狭になったこともあり以前の家とちょっと離れたところの借家に移り住む

初めての憧れだった広い一軒家で初めて犬を飼う

元々拾った猫が3匹いたが犬は買ってきた血統書付きのミニチュアダックス。明らかに輝いて見えたw

兄と父が大喧嘩をし、兄が家を出て行く。かと思ったらたまに帰ってきて家の物を盗んではまた出て行った

7軒目:千葉新築4LDK、約4年

ついに夢のピカピカの建売り物件を購入、初めての自室ができる。

車は2台、犬も次々と増やし5匹に…(飼いすぎ)

神戸から老いと共に1人では生活できなくなったお婆ちゃんが移り住んでくる

母とお婆ちゃんとの喧嘩でお婆ちゃんが「私の貯金もこの子らの貯金も勝手に使って!」と言ったのを聞き、お婆ちゃんの友達や知り合いから貰ったお年玉やお小遣いをお婆ちゃんがちまちまと各口座に貯金してくれていたあのお金が無くなったのかと知る。

その後、お婆ちゃんは老人ホームへ

妹が転校先の中学校で上手くやれずいじめられグレて、児童相談所へ行く。母と父は仕事後によく児相に駆り出されることに…

高校の帰りに自転車同士で衝突し指が大きく腫れて帰ると誰もおらず一人ぼっち

痛みと寂しさで「夢だった何もかもが揃ったのに、なんで…」と涙していると大阪から拾ってきた1番古い猫がすり寄ってきて私の指を噛んだ。励ましてくれたのか、それともお腹がすいていたのか…

8軒目:彼(現夫)の1Kアパートに半同棲

専門学校の私、ついに生まれて初めての反抗をし、当時大学生で一人暮らしをしていた夫のアパートに半同棲を始める

勿論家にも帰ったが、夫のアパートで夫と暮らすのはとても居心地が良かった

それから夫の就職先が決まり、プロポーズをされ、東京行きが決定する

その間千葉の実家には大きな交通事故を起こした兄が返ってきており、自死を図るが失敗、また何かを盗んで出て行ったw

9軒目:高円寺の2世帯型住宅2DK、1年

初めての東京での暮らしは浮かれて高円寺の家賃10万円の物件に。

木造の2世帯型の物件で我が家が2階、1階には元々住んでいた人がいて、この家の人から毎日のように音のクレームがくる

1階の人と喧嘩もしストレスも酷く、また家賃10万円もキツく、早々と別の物件に移り住むことに

10軒目:池袋の1K、約5年

立地と広さを捨てて格安5.5万円の池袋から1駅の物件に移り住む

手狭ではあったが住み心地は悪くなかった

家賃が大きく浮いたこと、私もこの間に働き始めたこともあり、徐々に貯金ができるようになる

この間、父と母との仲が明らかに悪くなっていて、母は隠すことなく不倫をし、よく神戸に1人で帰っていた

お婆ちゃんとお爺ちゃんとの死別後、2人の離婚問題が起きる

母神戸の家:垂水の安い借家

父と母離婚、ここら辺の話はもうヘビーすぎて書けないことが多々あるwww (父も母もそれぞれが色々あった…)

が1年後、神戸での母の一人暮らしが寂しく金銭的にも辛いという理由であっけなく2人は再婚し、元の千葉の家に戻ってくる

わかったことは、幼い頃からこの頃まで家族の幸せをまともに考え行動していたのは家族の中で私だけだったということw

この辺りのことがトラウマとなり、この千葉の実家に精神的に帰れなくなる

11軒目:品川(ほぼ大田区)の今の賃貸1K、5年目

池袋の家の近所に迷惑なバーができ騒音でストレスがたまり、今の家に引越す

学生の街池袋とかわって、ここはファミリー街でとても住みやすい

仕事を辞めて専業主婦になってからはストレスフリーな穏やかな日々に…

結論:住む家の素敵さと幸せは比例しない

長々と書いてしまいましたが…以上、私の家にまつわるアレコレは如何でしたでしょうか ?

大人になってからの印象は少し変わりましたが、幼い頃の母はとても優しくて大好きで愛情をたっぷり受けて育ったし、友達に恵まれていたので私はわりと幸せでした

でも母が他者から受ける愛が足りず辛いことが沢山あっただろうなと思います。

今までの家はこんな感じで色々あったので今まで住んできたところに未練が殆ど無いのですが…

大阪に住んでた頃は周りも貧乏な子や親がいない子もいたし、何も気にする事なく暮らせてたから子供時代ではあの頃が1番幸せだったな!

とは言え、今が1番住み心地がいいし、状況的にも穏やかで安定していて幸せなんですよね

立派な家や車は無いし、家も広くはないんですけど… こう言うちんまりした生活の方が私には合ってるのかなと思います

それに、一軒家みたいなお家って幸せを沢山詰め込めるイメージがありますけど、実際は幸せって物質的なものじゃなくって、その人の問題なんですよね

周りにある、凝視しないと見えないくらいの小さい幸せに気付けるか、それを日々大切にできるかどうかなんだと思うなぁ…

超長文、失礼しました!それでは、また!